アイドル冬の時代の意味するものは

NHK特集『音楽のチカラ』で作詞家・松本隆氏のいままでの仕事をたっぷり1時間振り返るような番組がやっていた。内容はかつてWikiPediaをじっくり読んでいたボクちんからすると、そのまんまじゃんというつくり。そんなに目新しいことはないのだけど、ユーミン松田聖子の作曲家として引っ張ってきたのは、じつは他でもない松本氏だったというんで、これはへぇー、と思うところがあったなぁ。いわゆるプロデューサーのようなこともやっていたのだという。


アイドル歌謡に対して松本氏がはたした功績とでもいうのか、存在感が予想以上に大きかったんだろうな、と思い直した。松本氏が作詞家として活躍した80年代にわかに盛り上がったアイドル歌手は、80年代後半には失速していった。松本氏も90年代に入ると作詞をしなくなり、ブランクの時期になる。


アイドルに限らず、○○冬の時代という言われ方をすることがある。次々に新しい才能が出てきて、作品が作られて、それに熱い視線をそそがれているという状態にない、つまりあんまり流行っていないことなんだけど、この言葉には「もっと流行っていてもよさそうなのに、おかしいなぁ」というニュアンスがあるように思う。90年代がそうだったわけ。


だから90年代はアイドル冬の時代だったみたいにいわれると、なにか腑におちるというか、納得して判った気になってしまう。その理由についてボクちんは以前にこう考えた。90年代はリアリズムの波があって、バンドブームがあり自作自演のシンガーソングライティング時代、自己表現の時代になっていった。だからアイドルといったファンタジーな存在は廃れていったみたいに。


松本氏のアイドル歌謡の詞は、「男が描いた少女漫画のヒロイン」というのがボクちんの印象。80年代後半からアイドルも自己表現へと向かい、90年代にはパンチラコスプレ自作自演シンガーソングライターの森高千里がいた。アイドルもここまでリアルな存在でないとダメな時代。と同時に、アイドル冬の時代でもあったわけで、なんだかアイドル文化も終焉をむかえつつあるみたいな雰囲気だったよ。


ここで、ふと思うのは、作詞家・松本氏の活躍とまんまかぶっているアイドルの流行の時期だ。アイドルとは何か、今アイドルとはこういうものだ、というものの原型を作ったのは松本氏だったんではないかという考えがおさえられなくなってくる。「本来は、アイドルなんて一括りにできるものはないんですよ、あったのは松本氏のイリュージョンとその二番煎じだけなんです。」と。


時代なんていうのは、そんな大勢がつくるもんでもなく、飛び抜けた才能のある人が一人いるかいないかで、大きく変わるものなのかもしれないな。そう考えると○○冬の時代なんていう表現は、なんかおかしい気がしてしまう。その言葉に、冬の時代だから流行らなくなった、才能がでてこなくなった、みたいな意味が含まれているとすれば、原因と結果が逆だなーと思ってしまう。


もともと冬なのが当たり前なんだよ。春になるのは、才能のある人があらわれる一瞬だけで、その後もずーっと冬で2度と春なんて訪れない。というのが、正しいのかもしれないな。もちろん今でもアイドルという存在はあり、新しい才能がつぎつぎと現れているんだろうけど、かつてのアイドルとはまったく別のジャンルになっていく。言葉の意味するイメージはあまりにも変わりすぎるのに、冬の時代なんて一括りにしようとすること自体がむずかしい問題だよなぁ。


もちろん90年代はリアリズムという言い回しは、それに似た難しさはあるんだけど、ボクちんのいっているファンタジーとか、リアリズムはアイドルとは違ってジャンルではないのだ。表現の手法のことなのだ。しかし、いまひとつ具体例が示しきれていないので、中途半端でよくわからない論になっているなぁ。ファンタジー・リアリズムはわかりやすくて実用的かとは思うだけど、力不足なり。