リアリズムの遺伝子のゆくえ

ファンでもなかったものの、今敏の訃報にがっくりときた。東京ゴッドファーザーズ」をはじめて見たときは、正直言って「なんでこんなアニメをつくったんだろう。」とか「実写でやればよいのでは?」と思ったりもした。とはいうものの、ああいう作家がいて、作品をつくっていること自体がワクワクするものがあったな。アニメファンでないような一般の人がみたときに、押井守のアニメも、そういう「よくわからない」ところがある。表現しようとしているものが、すごく先端をいっている感じというのはわかるんだけど。。。そしてアニメファンにも、映画ファンにも人気がいまひとつで、知名度もやや低めという。


ボクチンがいっている90年代リアリズムの波があったという感じるのは(あるのかないのかわからないけど)、まちがいなくあの時代に今敏のようなアニメ監督がいたことにある。海外でもセンセーションをおこした大友克洋のSF巨編「AKIRA」が1988年に公開されて、当時ジャパニメーションといえばジブリよりも「AKIRA」だったはず。大友克洋のおかげでハードボイルドな作風で、背景の緻密な描き込みをするというスタイルを流行るようになっていった。ウィキペディアによれば、「大友以前、大友以後」という言い回しさえあるらしい。


かつて「AKIRA」ブームがあったとことを思えば、今敏の作風について、点と線とがつながっていくように、「ああー、なるほど」と思う人はいないだろうか? ハードボイルドな演出、背景において、ストーリーにおいての緻密な構成は、SFではないにしろ重なって見えてくる。90年代の大友克洋という表現はふさわしいかわからないけど、それぞれがバラバラにつくっていたわけではなく、そういう遺伝子を持った人たちのジャンルなのだ。という一般的な認識があれば、もっと人気があってもよいのではないかな。


日常を舞台にした作品が多かったものの、今敏監督はSF作品からうけた影響が大きかったらしく、メンタリティについていえば、ずっとSFだったとおもう。大友克洋や、押井守とは、アニメ製作でスタッフとしてかかわりがあったとか。ついこないだの作品は筒井康隆原作の「パプリカ」だった。


おもえば80年代には初期の「ルパン3世」とか、「スペースコブラ」とか、70年代のアメリカンニューシネマに影響があったのか、ややハードボイルドな作風のテレビアニメや少年漫画、ってけっこうあったんだよな。それが青年漫画誌とか、OVAとかの時代になっていって、一般に触れにくい、わかりにくいジャンルへと追いやられていくんだけど。


テレビドラマとか、映画とかについても、こういう作風なんだということについて、もう少しわかり説明されたら、もうちょっと楽しめてもよさそうな気がするのに、もっと評価されていてもよいだろうに、もったいないよな。ということがありそうだ。何を楽しんでいいかよくわからないから、とりあえずベストセラーを読んでおいて安心する。そして世の中つまらない作品ばっかだなと、思い込んでいる。そういう行き違いがありそう。


ボクチンごときが言ってもなんの説得力がないのだが、ジブリアニメほど人気はなかったにしても、今敏監督は本当はすごい巨匠だったんでは? すくなくとも知名度以上にはすごい人だったと言っていいと思う。そういわざる得ないことが、なんか残念だ。