「かわいい」の侵略。ゼロ年代ファンタジー

東京電力の「デンコちゃん」にはじまり、最近になってはJRのスイカペンギンと、マスコットキャラクターがだいぶ増えた感じがする。本来は安全・信頼を売りにしてきたような会社でこんな感じなので、もともと親しみやすさを売りにしていたサービス業など、一般の企業は言うまでもない。マスコットキャラがかなり多くなったなーという気がする。ジュースにおまけとして、フィギュアがくっついてきたり。缶ジュースやいろいろな商品パッケージに「カワイイ」キャラがめだったり。最近での「せんとくん」、「まんとくん」みたいな自治体キャラクター、いわゆる「ゆるきゃら」ブームがあったりする。漫画やアニメ、ゲームでは、美少女萌え的な作品が人気をあつめて、いつの間にかオタク=萌えという状況になっている。さらにそれが、インターネットブーム、電車男ブーム、メディアでのアキバブームという流れから、キモオタからやや昇格した(?)。どんだけカワイイものが好きな国民だよ、とか言いたくなる。


村上隆が海外アート市場に、アニメや漫画をモチーフにした「日本のカワイイ」をアート作品として紹介して、注目を集めるようになってからかわからないけど、商品とか、広告とか一般に目に付くところにカワイイものの氾濫が始まったような気がする。これってゼロ年代ファンタジーなんではないかな。オタクがカワイイもの原理主義を布教してるんではないかという疑惑がわいてくる。マーケティング的にいえば、消費者に女性が多い→女性といえばカワイイものが好き、という視点からカワイさでアピールするのはわかる。日産のキューブみたいな、車もカワイイをコンセプトにしたカーデザインのものが増えたり。もう何でもかんでも、カワイければイイのか。それがゼロ年代なのか?


細かいことを言えば、カワイイってのは、特徴であってカワイイからといって、ファンタジーではないんでは? という疑問がある。これまで書いてきた「ヒト」=リアリズム、「カミ」=ファンタジーということでいえば、カワイイはどちらにも当てはまりうる。カワイイ=ファンタジーは成り立たないような気もしてくる。だから、「カワイイ」はゼロ年代ファンタジーではないと。ではあるが、子供とか動物といったカワイイといわれるものの代表をあげてみると、「ヒト」として未熟であったり内面をもたないとか、弱さとかいった特徴が共通しているように見える。それは「ヒト」ではない何か、であるとすれば、「カミ」であって、ファンタジーではないのかな。


音楽でのカワイイものブームといえば80年代のアイドル歌手が思いつく。アイドルは作詞や楽曲ばかりでなく、ステージでの衣装や振り付けにいたるまで、プロフェッショルの手によって作り上げられるものだった。洋楽においても、MTVの登場でもって映像的な部分が重要になり、ダンス、振り付けをともなったR&Bが主流だった。それが90年代は、バンドブーム、Jpopという作詞作曲は自分でやる、自己表現的なものにになっていった。アイドルは絶滅危惧種で、森高千里のように自己表現できるアイドルか生き残った。このころ洋楽においてもヒップ・ホップが流行はじめて、黒人スラムなどの悲惨な日常を歌ったりで、俺たちが「リアル」を表現しはじめた時代だった。時代は「カワイイ」から「ありのまま姿」になった。マイケルの整形は維持できずに崩れてしまった。



それが、ゼロ年代は、モームスのようなアイドルグループ、ジャニーズ事務所が覇権を制していたりといった感じ。かつてのナゾに包まれたアイドルとは違って、バラエティなどの看板番組をもっていたり、そこで「本音」を語ったりすることもあるものの、あくまでアイドルっぽさ「カワイイ」に人気があつまる。ジャニーズは、週刊誌でもイメージダウンにつながる記事を書いたりするのはご法度で、事務所の圧力がすごいらしい。とかどっかで読んだ。スマップのクサナギくんが全裸で叫んでしょっ引かれたときは、さすがにもみ消せなかったのか、あるいはその反動だったのか、恐ろいローテーションでニュースでとりあげられたりするのだった。あれってセロ年代ファンタジーの崩壊を暗示しているのかな。いつまでつづくのか、ゼロ年代