オタクを自己表現ツールとする90年代的なオタクの死


痛いニュース(ノ∀`):岡田斗司夫「オタクは消費するだけの存在、すでに死んでいる」

ブログかいわいで、『オタクはすでに死んでいる』岡田斗司夫が話題になってるけど、正直いまいちピンとこないなぁ。そもそも、世間的にオタクっていつごろ誕生したといえば、BSマンガ夜話が放送され始める、90年代後半あたりだったのでは? それまではまったく相手にされないか、アヤシイ事件があったりすると白い目で見られるか、日陰もの的な存在。で、なんでオタクは誕生したの??? ちょいその時代のバックグラウンドを探ってみると、どうも90年代はリアリズムの時代だったということと関係していそう。リアリズムなんのこっちゃって、話でややこしいけど、最近のオイラの個人的な主張だから、どの程度あたっているか、わからない。

  • 円高でもって、海外とか夢やあこがれの世界だったのが、手に届く現実になったという意味でのリアリズム。
  • 自己表現の時代、尾崎豊みたいな自意識が注目をあびて、イカ天→バンドブームこれも自己表現。
  • カラオケ、カジュアルファッションとかリアルな場所での自己表現、自己実現の場が増える。これもリアリズム。
  • バブルはじけた不景気で本業回帰とかいわれて、「日本を休もう」なんてCMもあった。現実をみつめるという意味でリアリズム。
  • テレビ番組のメインが、ニュース報道番組になる。劇場型犯罪とかで視聴率とったり、週刊誌的なジャーナリズム。これもリアリズム
  • タレントやアイドルといっしょに時間をすごしているような、バラエティ、お笑い、トーク番組がふえる。リアリズム。
  • 80年末のトレンディドラマから90年代のシリアス路線へ。「日常を劇場化する」という作品スタイル。リアリズム。
  • 80年代アイドル歌謡から、手に届きそうなカノジョ的・森高千里。レディコミ的な自己表現。これもリアリズム。

90年代の特徴をならべてみた。リアリズムというのは、まあ、現実がいそがしくなった時代ということですかな。


ヤマト、ガンダム以降、やや大人向けのアニメが増え始めて、80年代は、アニメもルパン3世とか、コブラとか、シティハンター北斗の拳。。今で言えば、あきらかに子供向けでない作品もごろごろ。ある程度大人になってもファンタジーを楽しんでいいような?? 雰囲気があったけど、90年代はそういう作品が消滅する(OVAアニメとか、青年マンガ誌といった青年向けメディアができたことも原因)。95年にはじまるエヴァンゲリオン庵野監督の「現実に帰れ」でファンタジーは完全に消滅www


こういう時代にあっては、視聴者もただの視聴者でなく、もの言う視聴者ナわけで、個室に閉じこもってじっとしていない。オタクであることを自己表現として、リアルな世界に飛び出していく、そのファッションリーダー的な存在がオタキングだったかと。オタクであることは自己表現のツール。


ところがいまやインターネット時代。ブログ時代。。作品を見ることがパーソナルな体験であって、自分の映し鏡みたいにして、自己表現したりする。ってのは、オタクたちの特権でもなんでもないことがわかってくる。オタクたちの自己表現のあり方そのものとかが問われはじめる。SFオタク→萌えとか、がダメっていうんじゃなくて、いってしまえば世代的な問題??? まあ、話題になっている著書の内容とはまったく関係ない、ただのオイラの世代論的な見方なんですが。。。


ってなことじゃないだろうか。年代的に言えば、90年代にあったような、リアリズムや自己表現は消滅していて、00年代はまたべつのファンタジーの時代が始まって、ネット仮想空間とか、ラノベとかアメコミCGとか、ゲーム的ファンタジー、が支配してるっぽい。


※結論としては、「オタクが死んだ」かどうか、というよりも時代的に自己表現ということが廃れてしまってきて、オタクにしてもオタクを自己表現にできなくなったんでは、という話。