巨大なパロディ空間。オタク、アキバ系、インターネット。。。

インターネットブーム→電車男ブーム→アキバブーム、と飛び火をして、ちょっと前にオタク論っぽいことが流行ってたりしたけど、あんまり深く考えないたちので結局オタクが何を指すのかよくわからんままだけど、オタクの習性として、「自分の手でおもいのままに、コントロールしたい。」というのがあるような気がする。支配欲??? なんだろうか。漫画のパロディの同人誌を描いたり、アニメキャラのフィギュアを作ったりしたりするというのは、ファンであるからというモチベーションだけでなく、自分でコントロールできることを楽しんでいる、という感じ。ロリコン萌えキャラに限らず、手のひらでころがしやすいキャラが、オタクに受けやすいような印象がある。オタクの遊び、とは支配欲を満たすようなものなのかな。とか思ったりする。そんなことが、WikiPedia に書いてあるかな?? 字が多いので、まだよく見ていない。とりあえず個人的な印象。

そして、ふと思った。オタクの支配欲、、、インターネット上での活動のかなりの部分がこれでできあがっているんでないかな。と。ニコニコ動画で人気のあるMAD動画で、空耳というジャンルがある。洋楽の歌詞だけど、日本語で●●と言っているように聞こえる。というやつ部分を切り取った、いわゆるパロディだ。


ちょっと前にネットで流行った「ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)」の、キャラメルダンセンなんかが、まさに「空耳」なわけだけど、たいして注目もされなかった洋楽が、パロディで遊ばれたことでもって、人気に火がついた。というのは、インターネットがない時代には、ありえなかっただろう。しかも、その勢いあまって、オリコン年間洋楽シングルチャート第1位というから、影響力のすごさにちびってしまうわけだ。(洋楽CDが売れないから、ちょっとした売れ行きで1位になってしまうのが現状か?)


最近では、「歪みねぇな」「最近だらしねぇな?」という空耳から人気がでた、海外の元ゲイポルノ男優が、わざわざ来日してニコニコ生放送のイベントに出演したとか。アップされた動画を見たら、サービス精神でもって「歪みねぇな」「最近だらしねぇな?」を連呼してしていて、得たいの知れない日本人の悪ふざけの冗談に日本にまで付き合ってくれたことに感謝したい気持ちになった、というか、イベント会場に集まる人間の数が多すぎだ。いったいどういうわけだ。


そういう遊びに参加しているのは、もちろんインターネット人口全体からすれば、ごく一部にすぎないだろうけど、インターネットのバカバカしいパロディが、いわゆる「手のひらで転がして遊ぶ」ことに過ぎなかったのが、暴走して現実までを巻き込んでいるのは、なんというか不思議な光景だな、と思う。と、同時に結局はインターネットの本質とは、オタクたちの支配欲を満たすパロディ遊びなんじゃないか? とさえ思えてくる。


理解しがたい、よくわからないものを、自分のレベルまで加工してしまえば、安心できるという心理?? あるいは、好きなものを自分のそばにおいておきたい、自分の意思を反映させたい、といった支配欲が、パロディの根本にあるかと思う。すでに知られているものをネタにすれば、他人の注目を得やすい。自分の作ったものや考えたことを、さらけだしたりするよりも、他人の賞賛や理解を得やすい。。。などなどの理由がパロディをする動機であろうかと思う。掲示板やブログが「炎上」するのも、原理はパロディと同じ、こういったところにあるのかな、と思ったりすれば、オタクに限ったことではないかもしれない。インターネットそのものが、飢えた野獣のようにネタを探して狙っているような錯覚さえする。


パロディは、ファンタジーとリアリズムのどちらか? といえば、リアリズムだろう。誰かが自分のコントロールできる支配下におくという行為は、つまり、現実に引き寄せるという意味で、リアリズムかな。と。誰もが対等にコミュニケーションできるということは、つねに他人の支配下にさらされるということでもあって、日常の生活で「しがらみ」と呼んでいるようなものであるし、これもリアリズムだ。インターネットで集合知とか、現実と離れたところで何か建設的なことをしようとしても、うまくいかないことが多い。方向性がさだまらないなどの理由もあるだろうけど、なにより建設的なことをする理由がない、日常に近いパロディ空間であるほうが、居心地がいいからだ。そういう意味でインターネットは、ゼロ年代のリアリズムかな。とも思う。



しかし、なにかすごいことが起こる可能性がある、と期待させたり、、、現実ではありえない、ネット上のサービスや仮想空間ができあがって、擬似的に経験することができたり、そこで多くの時間をすごすようになっているというところは、ゼロ年代のファンタジー?