成熟した消費社会。キャラクター。リアリズム。ファンタジー

「まんがはキャラクター。キャラクターが人気でなければ、ヒットしない。」てなことが、ジャンプが黄金期だったころ、さかんに言われていたような記憶がある。同じ時期に。全集などで手塚治虫のまんがも読んだりもしていて、手塚治虫はストーリーとか何よりも、キャラクターを生み出すことにかけて天才的だった、だから人気があって、漫画の神様よばれたんだなー。やっぱりキャラクターだよな、と、おもっていた。手塚まんがと、ジャンプでは同じ「キャラクター」といってもイメージするところは違うかもしれないけど。キャラクターはつくりこむもんだよなー、と思う。


80年代は少女まんがの影響?もあってか、少年漫画にも学園コメディものが増えたりして、いまよりもキャラクターがバラエティに富んでにぎやかだった感じがするんだけど、どうなんだろう? 思いつくところで、「うる星やつら」の高橋留美子、「タッチ」あだち充、、ジャンプでも「ストップひばりくん」「ハイスクール奇面組」、、ほかにもいっぱいあっただろうけど思いつかない、こういったキャラクターの人気がひっぱる感じの漫画って最近はみないな。。。とくに週間でギャグマンガはむずかしいか。ちなみに、少女漫画はどっちかといえば、リアリズムの傾向があって、それを、ファンタジーっぽくアレンジしたのが、学園コメディではないか? 70年代リアリズムとしての「少女まんが」、と80年代ファンタジーとしての「学園コメディ」という、図式があてはまる。


そして、まだお茶の間で家族がテレビをみていて、テレビアニメの活気もあって、「んちゃ!」なんていうセリフひとつで、だれもがどんな漫画のキャラかというのを、言い当てたりできたんではないかな。当時は、いってしまえば、キャラクターのキャッチーさが、漫画の人気につながっていたという気がする。だからアンケートで人気のでない連載は数週で打ち切る、みたいなことは、それなりに説得力があった。キャラクターに人気が出るどうかは、初めの数回でわかってしまうから。個人的な好みや傾向としても、どんなにストーリーがよくできていても、キャラクターがつまらない漫画は読む気がしないんで、勝手にそう信じているだけかもしれない。


不思議なもんで、同じころの映画やテレビドラマでも、人気のある俳優がでるとヒットする、俳優がひっぱる感じ作品が多かった気がする。トム・クルーズみたいな人気俳優の出演料が上がったり、というのはこのころでなかったか。出演料がピークに達してしまい、俳優で観客を呼び込むということも、90年代には行き詰ってしまい、やがて俳優に高い出演料を払う代わりに、CGなどの演出のほうに制作費をまわすようなつくりの映画になっていった。とかいう話をどっかで聞いたような。想像するところでは、80年代は役者も駆け出しで、作品の中での役で人気に火がつく。それが90年代、俳優としての人気が一人歩きするというスターダムがいきづまる。その反動で、00年代には、CGや演出で見せていく方に傾く。という感じだと、ファンタジー → リアリズム → CGファンタジー というサイクルにあてはまる。無理やりあてはめているだけかもしれない。


さらに社会背景をおってみると、80年代にはバブル景気もあり、消費社会が成熟したことがある。円高でもって内需拡大の必要性があって、内需を刺激するべくとった金融政策が、バブル景気を引き起こす原因となったようなことを、どっかで聞いた。まちがいかも知らんけど。ともかく消費市場が拡大することになった。バブル景気がはじけた後、不況に入って物が売れなくなり、物価が下がるデフレでもって、メーカーは少量多品種の商品を販売するようになる。コンビニの棚をみて思う。お菓子にしても昔はあんなにいろんなバリエーションのなかったよなー。企業の景気はわるかったけど、消費者主権といわれてますます成熟した消費市場だ。こういった成熟したデフレ時代には、テレビの番組の構成も変わらざるえない。それまでのマスマーケットへ向けたCMから、よりターゲットとなる消費者にとどくようなCMにするべく、さまざまな視聴者の好みにあわせたテレビ番組を製作する。有線放送などの多チャンネル化がすすみ、レンタルビデオなど、他の映像媒体も充実してくる。ゼロ年代にはそれがさらに進行して、DVDやインタネットと媒体が増える。


そういった時代に、青年誌が創刊されたり、いろんな読者層に合わせたまんが雑誌がつぎつぎに出されることになる。ここで、まんがのキャラクターも質がわかってくる。雑誌や本が売れない、だから新刊点数を増やして、利益を維持しようとする。というのは、他のメーカーのデフレ対策となんらかわりない。漫画のキャラクターもそれぞれのターゲットにあわせて、ピンポイントで好みに合わせなくてはならないことになる。アンケートで、どういった作品でどういったキャラクターに人気がでるかということのテータ、経験がつみかさなっていくから、さらにピンポイントであわせていくことになる。さらにお茶の間は消えて、個人の部屋にテレビをもっていたりするため、家族でテレビアニメを見る機会が減るから、ますますターゲットとなる読者のことだけを考えた、ピンポイントなキャラクター像ができあがる。


結果、、エロ・グロ・バイオレンスな表現が可能になり、思春期の内面をもったキャラクターも可能になる。というのが90年代で、このころのキャラクターもリアリズムな傾向がつよいといってよいかと思う。少年誌のラブコメものでも、内面描写がやけにドロくさいとか。ゼロ年代はその反動として、「めがね」ネコミミ」、「ゴスロリ」、、「ツンデレ」など属性をキーワードにした、萌えキャラだったり、一見すると80年代とも共通するような?? バラエティにとんだキャラクターが好まれるようになる。キャラクター志向がつよいような気がする。キャラクター小説、ライトノベルが流行るようになったのもこのころか? ファンタジーな傾向が強いんではないだろうか。ファンタジーとリアリズムに無理やりあてはめすぎか?? ともかく、消費者の好みにあわせたラインナップという感じで、成熟した消費社会を反映しているような感じだ。


ちなみ、そういった状況下では、同じ作品のキャラクターをだれかと共有する機会が減ってしまう。自分一人や、あるいは同じ趣味嗜好のひとたちで楽しめばいい感じになっていく。いろんな角度から作品を読んだり、多面的にみることのできる作品が減っていったりしないか。そういうものをテレビやまんがに期待するのは、まちがいなのかもしれないけど、成熟した消費社会だからこそ、失われてしまった部分がある気がするこのごろだ。国民的作家とよばれるようなひとも出にくくなるだろうな。だからといって、昔はよかったー、今がよくない時代だー、ということでもない。些細なことだ。まんがはやっぱりキャラクターの人気が大事だよなー、ということにはかわりがない。