誰がキャラクターを殺したか。

誰が殺したかwwww  こういうタイトル多いよね。プププッ。キャラクターつづきの話題。ゼロ年代のファンタジーとして、アメコミCGとかが思いつくわけだけど、これっていわゆるリメイクだ。すでに知られているキャラクターをつかえば、たいしたプロモーションしなくともヒットすることが予想できる。リスクが少なそうに見えるから、映画をつくる資金を借りやすいとか、製作する側の都合もあるとかで、ヒット作にめぐまれないハリウッドの厳しい現状の裏返しとか。オレ流に安直に解釈すれば、90年代リアリズムもいきづまりとなる。


ブライアン・シンガーの「XMEN」シリーズや、「スーパーマンリターンズ」とかCGがふんだんに使われて、宇宙にとんでいきそうなジェット機素手で救出とか、ゴールデン・ゲート・ブリッジを引っこ抜いて架け替えるとか、ミラクルな映像でちびってしまうおいらとしては、リメイクでもなんでも面白けりゃいいじゃんって思わなくもないけど、もはやオリジナルでキャラクターをつくるということを放棄しているということが、どういうことなのか考えなくもない。


新しいキャラクターが生まれなくなったという状況(といってもよい?)は、そもそもアメコミCG全盛となる以前はどうだったかといえば、90年代リアリズムの時代にあっては、つくられたキャラクターであるということをあまりよく思わなかった蔓延していた。アニメでも、声優では表現に限界があるとかで、シロウト声優で吹き込むとかが、あったり。80年代以前は「とっつぁーん」といえば、ルパンだなーとわかるような、キャラクター独特のキメ台詞があったりして、それを楽しんでいたのが、とたんに白けてしまったというか、つくりもののキャラクターということを、嫌うようになっていったような気がする。つくりもののアニメすらそういう状況。



テレビドラマも80年代といえばトレンディドラマだったのが、野島伸司脚本のドロドロしたシリアスドラマとか、そんなのが主流だったような。90年代にツインピークスブームがあり、以後やけに「心の闇」をテーマにしたり、心理サスペンスものが流行りだした。現実の理解しがたい部分という意味で、、で、基本はリアリズム。「エヴァンゲリオン」がシンジの心理状態とか、サイコスリラー「レクター博士シリーズ」、とか、かつて「YAWARA」で国民的な漫画家になった浦沢直樹も「MASTERキートン」「MONSTER」と、どんどんサイコ路線をたどるようになるとか。あと、筋肉俳優がドタバタ走り回る「ダイハード」的なアクション映画とか。ドラマもまんがも、映画も、もちろんフィクションなんだけど、リアリティを追求という時代。「キャラクター」がもっていた虚飾の部分が削げ落ちてしまった気がする。



リアリズムのはてに、キャラクター不在となる。それが行き詰まりとなって、また反動となって、ゼロ年代になって、キャラ萌えとか、アメコミCGへとつながっている気がする。もちろん個人的な印象。アメコミCGものを見ていて、キャラクターが板についていないみたいな感じがするのは、役者が演じているのはCG合成する以前なので、演じている時に作品がどう仕上がるかわからないとか、演技によって役をつくりづらい、とかの問題があるかも。というか、もともとあんまり演技がうまくない俳優がやるのが伝統みたいだけど。



ともかく、いまさら死んでしまったキャラクターとは何かってことを考える。。。。わかりやすいところで、、ダース・ベイダーみたいな、いかにも悪そうで、問答無用な立ち姿とか、ああいう圧倒的な存在感とかって、なんだろうな? 悪者といえば、みんなハンコで押したように、おんなじようなキャラ感じになってしまったり。。。CGとか編集を前提にカメラを回すといか、製作期間も極端にみじかいとか、いろいろあるためか、キャラのもつ独特の雰囲気とか、直感的にこうだという撮り方とかできにくいのか。



「死んだ」というのは、80年代以前のキャラクターが、いまよりもいろいろすごかったという、勝手な印象からいっているにすぎないけど、、、「もう少しキャラクターということについて、自覚的であるべきだ」と思うこのごろだったりする