リアリズムの作法・ファンタジーの作法とは何なのか?

今まで80年代はファンタジー、90年代はリアリズム、00年代は再びファンタジー(CG)という感じがあるなー、と書き散らしてきてみたものの、どうも「ファンタジーとは何? リアリズムとは何?」と聞かれたらうまく答えられなくなりそうで、モヤモヤとしたものかある。で、ちょっと考えてみた。


とりあえず、ファンタジーとは、作品の決まりごとの中でキャラクターが演じる「ごっこ遊び」のようなもの、といってみる。ごっこ遊びといってしまうと、迫力なくて白けてしまうけど、ほかにいい表現がみつからない。ファンタジーの要素を思いっきり抽象化してしまうと、将棋のようなゲームみたいなものなんではないか? とも思ったりする。将棋のコマの動きには、ルールがあってそれにのっとって競技したり、これはファンタジーっぽいのかな。と。個人的に、そう思っただけで他人に押し付けることできるものでもない。またリアリズムとの対義的につかうので、辞書どおりの意味でないことも付け加えておこう。


吸血鬼は日光を浴びると生きていられない。こういうルールある、というのはファンタジーっぽい。あるいは十字架で、襲い掛かる吸血鬼からのがれるとか。読者や視聴者がそれを作品の前提として、知ったうえで作品を楽しむ。というのは、ファンタジーの作法っぽいかなと思う。ファンタジーのルールという部分を、プログラムに置き換えてしまったのが、コンピューターゲームで、ファンタジーとゲームの親和性はつよいんだろう、という印象。特撮ヒーローに変身したり、巨大ロボットにのって剣を振り回したり、魔法の杖で呪文をとなえるとか、現実にはありえないようなルールの中で、超人的なキャラクターを楽しむというのがファンタジー



作品の中での決まりごとを演じているフィクションって、全部ファンタジーなんじゃ? といわれると説明に困るな。どうしようwww とりあえず、もう一つのリアリズムの方を考えてみよう。日常を作品の舞台にして実際にありそうなドラマが展開するというのは、なんかリアリズムっぽいといえるだろう。ファンタジーとは違い、こっちの方は納得してもらえるだろうか。B級ホラーものでも、エロとか、グロとかの描写は、なんかファンタジーというより、リアリズムっぽいのはなぜだろう。生理的な感覚にうったえるから? ファンタジーとリアリズムは簡単に分けられるものでもなく、その時代のファンタジーの王道といわれる作品群があって、それ以外の作品を「ファンタジー未満」としてリアリズムと片付けてしまう印象もある。ハッピーエンドはファンタジーで、バッドエンドはリアリズムっぽい。現実は物語よりも厳しい、なかなかうまくいかないことが多いから? あと、登場人物が内面をたんたんと語る、というのは、リアリズムっぽいな。これはちょっと説明してみる。



話はでっかくなってしまうが、そもそもファンタジーの起源は旧約聖書であるとか、キリスト教や神話の古代・中世的な世界観にあるような気がする。「神々が主人公」という世界観がファンタジーだ。それが近代になってから「ニンゲンが主人公」になった。かつて文学といえば神々の物語だったのが、近代になってようやくニンゲンが主人公の小説というジャンルが出来上がるのだ。聖書=ファンタジーで、小説=リアリズム。という見方ができるかと思われる。ニンゲンが主人公で、理性とか倫理感だとかテーマにして、内面をもっているというのが小説で、小説のような内面描写が、リアリズムっぽいなーというのは、このころに始まっているのかもしれない。学者みたいに勉強しているわけではないので、そうハッキリとは言い切れないところがもどかしいwww



で、同じロボットもののSFにしても、やけに内面の描写が多いなーということで、「エヴァンゲリオン」はリアリズムの作法を取り入れてるんだなー、となるわけだ。


あと、大人向けの作品がリアリズムであるとか、子供向けがファンタジーであるとか、いう印象がある。「いい歳してアニメやまんがを見ている」とかバカにされるのは、アニメやまんがが子供向けであり、かつファンタジーであるという考えが一般的にあるからだ。同じフィクションでもリアリズムという印象のあるテレビドラマであれば、こうは言われないのでは? 大人向けでリアリズムの手法をとりいれた、大人向けのアニメは存在するのにもかかわらず、早く大人になりなさいと言われてしまうのである。


では、大人向けでかつファンタジーという、あるいは、子供向けでリアリズムという、カップリングは存在しないのか? 大人になると現実というルールに染まってしまうし、子供時代ほど頭はやわらかくない。時間的にも精神的にもファンタジーを楽しむという余裕がなくなってしまうのだ。一方、子供向けのリアリズムはどうかといえば、そもそも子供は現実の経験に乏しいために、意味不明なことが多い。自我もなければ内面もない。リアリズムの手法を取り入れる余地がない。作品の中でルールがあたえられ、すべてが完結しているファンタジーがよいとなる。でもって、大人向けの作品でリアリズム、子供向けでファンタジー、という傾向が強くなるのだ。



だからといって、リアリズム=大人向け、ファンタジー=子供向けではない、すくなくともオイラはそう思っていない。90年代リアリズム、00年代ファンタジーというような呼び方は、ただ単に読者・視聴者の年齢の問題になってしまうんで、つまらない。10年間ファンタジーばっかりやってきたけど、そろそろリアリズムでいきたいよね、というようなクリエーターとか、読者の気分の波みたいなのとか、いろんな要素がまじって、出来上がっている時代の雰囲気があるのかな、あるとすれば、こういう呼び方ができないかな、と意味で90年代リアリズムとかいったりしてみている。



しかも音楽、映画、ドラマとか、いろんなジャンルで同時進行的にそういうことが、起こっていたという想像がまじっている呼び方なのだ。(多少ムリがあるかもしれない。)しかしその時代を振り返りつつ、そう呼んでみると、けっこう当てはまってたりするんで、まったく根拠ないわけでもないと思う。